岐佐神社は町の中央部の小高い丘に鎮座する舞阪の氏神様です。御祭神は蚶貝比売命と蛤貝比売命。蚶貝比売命は赤貝の神、蛤貝比売命は蛤の神。昔、この地を象(きさ)島(しま)と言ったのはキサガイが多く採れたからという。ハマグリは江戸時代、舞坂宿の名物でした。
『延喜式神名帳』(延長5年・927)には、遠江国六十二座、敷智郡六座の一社として「岐佐神社」の名があります。千年以上の歴史のある式内社の一社です。『岐佐神社由来記』には「明応の変(明応7年・1498)で舞澤の郷は人家と共に海中に流された。この変で辺り一面荒れ果てた堆砂の丘の上に柳の古木あり、その下に小神祠が漂着していた。〈敷智郡岐佐神社〉と書いてあり、駅長浅野美時、三十六屋敷の里人と其処に社殿を造って之をまつる」とあります。現在の鎮座地です。
氏神様として地域の守護神であるとともに、御祭神が貝の神様であることから水産・漁業の守り神として古来、漁民の信仰を集めてきました。また大国主命を復活させたことから病気平癒、身体健全、開運厄除、商売繁盛にもご利益があるとされています。
天正2年(1574)本殿再建を始め11枚の棟札を保存。現在の社殿は大正元年(1912)の造営。平成22年に修復事業を手掛け、御本殿の立て起こし、拝殿・覆屋の屋根瓦葺き替えなどを実施しました。
古事記(712年)「因幡の白兎」に続く話。
大国主命は、八十神等の騙し討ちにより、赤猪に見立てた大きな焼けた岩を抱きとめ大火傷を負います。母神(刺国若比賣命)の願いにより神産巣日神は、蚶貝比賣命と蛤貝比賣命を使わす。蚶(あかがい)の白い粉と、蛤(はまぐり)の粘液で膏薬(こうやく)を作り治療すると、大国主命は元の麗しいお姿に戻られました。
これにより、健康・長寿の神、また怪我・病気平癒の神と崇められています。
大国主命が抱き留めたとされる赤石が神社拝殿の西側にまつられています。
青木繁・画「大穴牟知命」明治38年(1905)作/石橋財団アーティゾン美術館蔵所蔵
※大穴牟知命は大国主命の別名
※大国主命を介抱する、向かって左がキサガイヒメ、右がウムガイヒメ
脚本:舞阪郷土史研究会/きさの里物語制作会議 画:堀内寛児
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イズモの国の神様・大国主命(おおくにぬしのみこと)が傷ついたウサギを助ける、「イナバのシロウサギ」のお話をみなさんは知っていますか。このお話の続きには舞阪の岐佐神社にまつられている神様、キサガイヒメとウムガイヒメが出てきて活躍するんですよ。
さあ、これから神話の世界にごあんないしましょう。 -
オオクニヌシは、大勢の兄弟と暮らしていました。あるとき、イナバの国にヤガミヒメというとても美しいヒメガミがいることを知り、「ぜひ私のお嫁さんに」、「いや我こそヤガミヒメをめとるのだ」と口々に言い合いました。そこで兄弟みんなで結婚の申し込みにイナバの国へ出かけることになりました。
オオクニヌシは一番下の弟でしたから、兄さんたちの荷物を入れた大きな袋をかついで一番うしろからついていきました。
ところがその荷物の重いこと。とうとうオオクニヌシは兄さんたちから遅れてひとり、とぼとぼと歩いていきました。 -
ようやくイナバの国にさしかかると、海岸に傷ついたウサギが横たわっていました。
オオクニヌシがわけを聞くと「ワニザメに皮をはがされてしまい、痛くて痛くて泣いていました。すると、さきほど通りかかったあなたの兄弟の神様たちが 『傷口を潮水で洗って風に当たっていなさい』と教えてくれました。そのとおりやってみたら、傷は治るどころかもっとひどくなってしまいました。どうか、助けてください」と泣きながら両手を合わせました。 -
かわいそうに思ったオオクニヌシはウサギを水が湧き出ている所へ連れていき、きれいな水で傷口をやさしく洗ってやりました。
それからガマの穂綿を採ってきて並べ、「この穂綿にくるまり、横になっていれば傷は治るから、安心しなさい」と言って体を休ませてあげました。
すると何と不思議なことでしょう。ウサギはもとどおり元気になりました。
「ありがとうございました。助けていただいたご恩は一生忘れません」と、ウサギはお礼を言いました。そしてオオクニヌシの目をじっと見つめて、「ヤガミヒメをめとるのは、きっと心のやさしいあなた様です」と予言しました。 -
オオクニヌシがウサギに見送られて出発したころ、兄さんたちはもうイナバの国のヤガミヒメの屋敷に着いていました。
兄さんたちは「我こそが美しいヒメの心をいとめるのだ」とみんな、わくわくした気持ちでヤガミヒメが現れるのを待っていました。 やがて、うわさどおりの美しいヒメガミが現れました。兄さんたちは、「美しいヤガミヒメよ、わたしこそがあなたにふさわしい神です」。「わたしのお嫁さんになってください」と口々に呼びかけました。 -
そこへ大きな袋をかつぎ、汚れた衣服を身にまとったオオクニヌシがやってきました。
すると、ヤガミヒメはこの時を待っていたかのようにほほえんでオオクニヌシを指さし、「わたしはあの方のもとにとつぎます」と、りんとした美しい声で告げたのです。
ウサギが予言したとおりになったので、みんなは もちろん、オオクニヌシはもっとびっくりしました。二人の幸せそうな姿を見て、兄さんたちの怒りは収まりません。 -
「オオクニヌシさえいなければヤガミヒメは自分たちのものだ」、「そうだ、そうだ」と悪だくみの相談はすぐにまとまりました。
イズモの国に戻る途中、ホウキの国のテマの山のふもとまでやってくると、兄さんたちは「この山には赤いイノシシがいて、畑を荒らすので村人が困っている。俺たちが山の上からイノシシを追い立てるからお前はふもとで待ち受けて必ず捕まえるのだぞ」。
「取り逃がしたらお前を生かしておかないからな」とオオクニヌシに言いつけました。 -
兄さんたちは山に登ると、イノシシに似た大きな石を探し当て、火をたいて真っ赤に焼きました。そして燃え盛る石を山の上からふもとめがけて勢いよくころがし落としました。
「ドドーッ、ゴォーッ、ゴロゴローッ」。
山の上から駆け降りてくる赤い物をオオクニヌシはイノシシだと思い込み、兄さんたちに言われたとおり、全身でしっかりと受け止めました。
真っ赤に焼けた大きな石を抱きかかえたのですから、ひとたまりもありません。オオクニヌシは、たちどころに焼け死んでしまいました。 -
このことを知った母親のサシクニワカヒメは、たいそう嘆き悲しみました。
「オオクニヌシをなんとしても助けなければ……」
サシクニワカヒメは高天原(たかまのはら)へかけのぼってカミムスビノカミに「オオクニヌシを生き返らせてください」と、何度も何度もお願いしました。
母親の必死の願いに心を動かされたカミムスビノカミはオオクニヌシを生き返らせるため、神々のなかからアカガイの神であるキサガイヒメとハマグリの神であるウムガイヒメを地上につかわすことにしました。 -
地上に降り立ったキサガイヒメは赤貝の殻を削って白い粉を作りました。ウムガイヒメはお乳を出してその粉を練り合わせ、オオクニヌシの体に塗っていきました。
すると、みるみるうちにやけどが治り、オオクニヌシは、元のとおりたくましい姿によみがえったのです。 -
キサガイヒメとウムガイヒメに助けてもらい、元気を取り戻したオオクニヌシは、めでたくヤガミヒメと結ばれました。
その後、オオクニヌシは日本の国づくりのために大いに活躍しました。農業や漁業を盛んにし、人びとが豊かに暮らせるようにしてくれた尊い神様です。いまも「だいこくさま」として人びとに親しまれています。 -
オオクニヌシを生き返らせたキサガイヒメとウムガイヒメは舞阪の氏神様、岐佐神社の神様としてまつられています。オオクニヌシの命を奪ったとされる赤石もお社の西側にまつられています。
〈おしまい〉